
食器を洗うのは料理をしてくれる妻への礼儀と思い、僕は食器洗い担当をしています。しかし、念願の食洗機を買った日から、皿を洗うのをやめました。
洗い物の時間がまるごと消えるはずでした。丸い皿とコップは、放り込んでボタンを押せば本当に終わります。
ただ、食洗機に入らないものが毎日出ます。フライパンと包丁と、弁当箱のゴムのパッキン。この3点は手で洗うしかありません。
そして、洗い終わった食器をカゴから棚に戻す係を、家の中で決めていませんでした。
半年たって、台所は買う前より散らかっています。カゴには乾いた食器が積まれたまま、シンクにはフライパンと包丁とパッキンが置いてあります。
機械にできることを全部やらせた結果、残ったのは誰の担当でもない皿でした。
この構図は、会社での生成AI導入にも当てはまります。生成AI(指示に応じて文章などを作る技術)を導入する会社が増えました。ただ、導入したのに使われていない、という話も同じくらい増えています。生成AIを使う仕組みは、動くところまでは作れたのに、本番(実際の業務)で最初から最後まで1回も通っていない。そういう止まり方が目立ちます。
止まった理由を、内製(社内で作ること)にしなかったからだと説明する人がいます。逆に、外注(社外に任せること)をしなかったからだと言う人もいます。ただ、止まっている場所を実際に見にいくと、どちらでもありませんでした。
先に一行だけ置きます。生成AIを導入して止まるのは、技術力の差ではなく、生成AIができなかった作業を誰が引き取るかを決めていないからです。
僕も、引き取る人を決めないまま生成AIを導入し、失敗しました。個別指導塾で講師を採用する仕事に生成AIを入れて、動くところまで1日で作ってから、半年近く1回も本番で通せませんでした。いまは範囲を絞り直し、残りは引き取り手の日付が入るまで着手しない待ちに変えています。
今日は、生成AIを導入する範囲を「作れるかどうか」で切ると何が起きるか、という話をしていこうと思います。
前置きはさておき、本題に入ります。
この話に出てくる事業
僕の会社が生成AIの導入支援を担当している取引先のひとつに、小中学生向けの個別指導塾があります。この塾は10校舎を運営しています。1コマ80分で、講師1名が生徒2名までを見る形です。
講師の大半は大学生です。だから3月と9月にまとまって辞め、まとまって入ります。年間で入れ替わるのは、10校舎あわせて60名前後です。
採用と初期研修は、各校舎の教室長が兼務しています。応募書類を読み、面接し、受かった人に教科ごとの模擬授業をさせ、保護者への言い回しを教える。この一連を、授業の合間にやっています。
だから、この講師の採用と初期研修に生成AIを導入することにしました。作ったのは、応募書類を読んで要点を5行にまとめ、その人向けの面接の質問を10問作り、採用後の初期研修テキストを教科別に書き出すソフトウェアです。
教室長が触るのは、応募者の名前を選んで1回押すところだけ。あとは全部、生成AIが書きます。
① 教科書どおりに、作れるところから生成AIを導入した


生成AI導入の基本をすでにご存じの方は、① 教科書どおりに、作れるところから生成AIを導入したから読み進められます。
先に、生成AIの導入を、教科書どおりに整理しておきます。何を導入するのか、どんな順番で進めるのか、どこで詰まるのか。
生成AIとは|導入する対象は何か
生成AIとは、学習した内容をもとに、文章・画像・音声・コードなどを新しく作り出せるAIです。「導入する」と言うとき、実際に社内へ入るのは次のどれかになります。
- 既製のサービスを契約する — 法人向けのチャット型サービスなど
- 使っている業務ソフトの機能を有効にする — 追加の意思決定が要らない場合が多い
- APIを使って自社システムに組み込む — 業務の流れの中に埋め込む
- 自社データを参照させる仕組みを作る — 社内文書に基づいて答えさせる
「生成AIを導入する」という言葉が、この4つのどれを指すかで、費用も期間も担当部署も変わります。社内で話が噛み合わないときは、たいていここが揃っていません。
生成AIの種類と仕組み
扱うものによって、テキスト生成AI、画像生成AI、音声生成AI、動画生成AIに分かれます。業務導入で中心になるのはテキスト生成AIです。
仕組みは、大量のデータから規則性を取り込む学習フェーズと、入力を受けて答えを組み立てる推論フェーズに分かれます。導入時に払う費用のほとんどは推論フェーズ側です。使うほど費用が増える構造だと理解しておくと、後の見積もりでずれません。
従来型AIとの違い
| 何をするか | 導入で必要になるもの | |
|---|---|---|
| 従来型AI(予測・分類) | 過去データから数値や区分を当てる | 自社の正解付きデータ |
| 生成AI | 文章や画像を新しく作る | 指示文と、参照させる社内文書 |
ここが導入の入口を大きく変えます。従来型AIはデータが揃うまで始められませんでしたが、生成AIはデータが無くても、その日から動きます。始めやすいぶん、後述する「業務に載せる」段階で詰まります。
生成AI導入が注目される背景
- 人材不足 — 定型作業に人を割けなくなった
- コスト削減への期待 — 外注していた下書き作業を内側に戻せる
- 技術の進化 — 専門知識が無くても、文章で指示すれば動く
- 競合が始めている — 遅れることへの不安が意思決定を後押しする
4つ目を動機にすると、導入そのものが目的になります。「入れたかどうか」ではなく「どの業務の何件が変わったか」で語れるように、着手前に対象を決めてください。
生成AIを導入するメリット
- 業務効率化 — 下書き・要約・整形にかかる時間が縮む
- 人的リソースの効率化 — 人員を増やさずに件数を増やせる。増員できない部署ほど効く
- 新しいビジネスチャンスの創出 — 手が回らず諦めていた提案や検証に着手できる
- 顧客体験の向上 — 一次回答が速くなり、待たせる時間が減る
2つ目と3つ目は、同時には取れません。空いた時間を人員削減に充てるのか、新しい仕事に充てるのか。先に決めておかないと、現場は「仕事が増えるだけ」と受け取ります。
生成AI導入のデメリットと、かかる費用
| 費目 | 中身 | 見落としやすい点 |
|---|---|---|
| 導入コスト | ライセンス費、初期設定 | 見積もりに出るので、ここは落ちない |
| 運用(ランニング)コスト | 利用量に応じた従量費用、保守 | 使われるほど増える |
| 学習コスト | 社員が使えるようになるまでの時間 | 工数として計上されないまま消える |
| 連携の開発費 | 既存システムとつなぐ工程 | 製品費用とは別に発生する |
4行目を見ていない見積もりが、いちばん多く出回っています。業務の流れの中で使うなら、つなぎ込みの費用を先に確認してください。
注意点①|情報漏えいとセキュリティ
入力した内容が学習に使われる設定のまま、社外秘の資料を貼り付ける事故が典型です。法人向けの契約で、学習に使われない状態にしてから配ってください。
禁止の通知だけでは止まりません。使ってよい環境を先に用意しないと、個人アカウントでの利用(シャドーAI)に移るだけです。
注意点②|著作権などの権利侵害
生成物が既存の著作物に似る可能性は残ります。公開物に使うときは、生成AIを使った箇所と、確認した人を記録に残してください。
あわせて、作った成果物の権利が誰に帰属するかを委託先との契約で確認しておきます。知的財産の取扱いは、着手後に決めようとすると止まります。
注意点③|ハルシネーション(もっともらしい誤り)
存在しない出典や誤った数値を、自信のある文体で出します。対策は、根拠となる社内文書を渡し、「渡した資料の中に無い場合は、無いと答える」と指示に書くことです。
そのうえで、誤りが表に出る手前に人を置きます。外部に出る文書、金額の確定、契約に関わる判断がその境目です。
注意点④|法規制とコンプライアンス
- 個人情報を入力する場合の、取得目的と保管場所
- 業種ごとの表示規制(広告表現、資格に関わる記載)
- 海外のサービスを使う場合の、データの保管国
- 生成物の権利の帰属と、第三者の権利を侵害していないかの確認
4つとも、ツールを選ぶ前に社内側で決める項目です。製品比較から始めると、この4つが後回しになります。
生成AI導入の7ステップ|全体像
順番を入れ替えると、たいてい詰まります。
| やること | 出来上がるもの | |
|---|---|---|
| 1 | 導入目的を明確にする | 減らす時間か、増やす件数の数字 |
| 2 | 生成AIが担う業務をリストアップする | 候補業務の一覧 |
| 3 | PoCで、任せられる業務を判別する | 任せられる/任せられないの仕分け |
| 4 | 業務内容に応じてツールを選定する | 選定理由の記録 |
| 5 | 活用のルールを策定する | ガイドラインと相談先 |
| 6 | 導入する(既存システムへの組み込み) | 動く状態 |
| 7 | 導入効果を検証し、改善する | 着手前と比べた数字 |
3が抜けると、6で止まります。任せられない業務を仕分けせずに組み込むと、「AIができなかったぶん」を誰が引き取るかが決まらないまま本番になります。
ステップ1|導入目的を明確にする
「生成AIを導入する」は目的になりません。減らしたい時間か、増やしたい件数を、数字で書いてください。
このとき、着手前の件数と所要時間を必ず記録します。ステップ7で比べる相手が、これしかないためです。導入後には取れません。
ステップ2|生成AIが担う業務をリストアップする
業務フロー(仕事の流れ)を工程に割り、工程ごとに「渡せるか」を判定します。部署単位ではなく工程単位で並べるのが要点です。
渡せる工程の条件は、件数が多い・下書きの段階がある・誤りに気づける・やり直しが効く、の4つです。
ステップ3|PoCで、任せられる業務を判別する
候補のうち上位2〜3件を、少人数・期間限定で試します。PoCで確かめるのは「動くかどうか」ではなく、「人が使い続けるかどうか」です。
ここで必ず出るのが、「8割はできるが、残り2割は人が直している」という結果です。この2割を誰が持つのかを決めるところまでが、PoCの範囲です。
ステップ4|業務内容に応じたツール・モデルを選定する
- 入力したデータが学習に使われない設定にできるか
- 社内の権限(誰が何を見られるか)を持ち込めるか
- 自社データを参照させられるか(RAGなどの仕組み)
- 使っている業務ソフトとAPI連携できるか
- 利用状況を管理側で見られるか
3つ目が、回答精度をいちばん動かします。一般的な知識で答えさせるより、社内の規程や過去の回答を参照させたほうが、業務では使えるようになります。
ステップ5|活用ルールとガイドラインを策定する
- 入力してよい情報の区分(使ってよい例を先に書く)
- 出力を使ってよい範囲と、確認が必要な場面
- 生成物の記録の残し方
- 相談先と、事故が起きたときの連絡経路
1ページに収まらないガイドラインは読まれません。詳細版とは別に、1枚の要約を配ってください。
ステップ6|導入する(既存システムへの組み込みとAPI連携)
単体で使わせるか、業務の流れの中に埋め込むかで、必要な作業が変わります。
| 形 | 必要になるもの | 向いているとき |
|---|---|---|
| 単体で使わせる | アカウント配布と教育 | 下書き用途。まず試す段階 |
| 業務ソフトの機能を使う | 有効化と権限の設定 | データと権限が、すでにその中にある |
| API連携で組み込む | 接続の開発と保守 | 件数が多く、毎回同じ形で処理したい |
3行目を選ぶ前に、保守を持つ人を決めてください。連携部分は、つないだ相手のシステムが変わるたびに手が要ります。
ステップ7|導入効果の検証と改善(効果検証の4指標)
| 測るもの | 取り方 |
|---|---|
| 利用率 | 配布人数のうち、週1回以上使った人の割合 |
| 処理件数 | 対象業務の件数(着手前と比べる) |
| 所要時間 | 1件あたりの時間(着手前と比べる) |
| 持ち帰り率 | AIの出力を人が直した件数の割合 |
4行目を測っている会社は、ほとんどありません。ここが下がらないかぎり、減った作業と同じ量が、別の誰かの手元に移っただけになります。
社内体制|内製と外注の分担をどう決めるか
| 工程 | 内製に向く | 外注に向く |
|---|---|---|
| 対象業務の選定 | ◎ 業務を知っている人しかできない | — |
| ツール選定・接続の開発 | 作れる人がいれば | ◎ 経験の差が出る |
| ガイドラインの策定 | ◎ 自社の規程に紐づく | 雛形の提供まで |
| 社内教育 | ◎ 実際の業務で教える必要がある | 立ち上げの支援まで |
| 運用・改善 | ◎ 半年後に手を入れるのは社内 | 伴走の形なら |
外に出せるのは、真ん中の1行だけです。対象業務を決める工程と、動き出したあとの運用は、業務を知っている側にしか担えません。ここを外注前提で計画すると、納品後に止まります。
社員のAIリテラシー向上と社内教育
操作説明ではなく、受講者自身の仕事で1回動かすところまでを、教育の範囲にします。
うまくいった指示文を共有する置き場を1つ作ってください。各自が毎回書き直している状態が、いちばん時間を食います。
データの管理体制と基盤の整備
- 参照させる文書の範囲と、更新の担当を決める
- 版が入り乱れた文書を混ぜない(古い規程が正解として返ってくる)
- 個人情報を含む文書を、参照対象から外す
- アクセス権限を、人ごとに引き継げる形にする
2つ目が、精度の苦情のいちばん多い原因です。モデルを替える前に、参照させている文書を確認してください。
生成AIの導入事例|業務別・業界別
| 領域 | 公表されている例 |
|---|---|
| 社内問い合わせ | AIチャットボットで一次回答。照会件数の一部を自動解決 |
| 文書業務 | 議事録の要約、長文資料の要約、紙資料の電子化と横断検索 |
| マーケティング | 広告制作の工程短縮、ドキュメント作成の省力化 |
| コールセンター | 応答率の向上、オペレーター支援 |
| 製造・設計 | 新規用途の探索、技術伝承、デザイン案の自動生成 |
| 小売・金融・建設・自治体 | 需要予測、リスク分析、安全管理、窓口回答の均一化 |
事例を読むときは、AIが担当したのが工程のどこかまで見てください。多くの場合、担当しているのは「下書きと判断材料づくり」であって、最終判断と例外処理は人の側に残っています。
業務ごとの活用例と効率化の進め方は、生成AIで業務効率化する方法|活用例・進め方6ステップと注意点に詳しく整理しています。
生成AI導入のよくある質問
Q. 生成AIの導入は、どんな順番で進めますか。
導入目的の明確化、担う業務のリストアップ、PoCによる判別、ツールの選定、活用ルールの策定、導入、効果の検証と改善の7ステップです。3番目のPoCを飛ばすと、6番目で止まります。任せられない業務を仕分けせずに組み込むためです。
Q. 生成AIの導入には、どのくらい費用がかかりますか。
ライセンス費・初期設定などの導入コスト、利用量に応じた運用コスト、社員が使えるようになるまでの学習コスト、そして既存システムとつなぐ連携の開発費の4つで見ます。最後の1つが見積もりから漏れやすい項目です。
Q. 生成AIの導入に、専門的な知識はどの程度必要ですか。
既製サービスを配るだけなら、専門知識はほとんど要りません。ただし権限の設計、自社データの参照、既存システムとの連携には知識が要ります。配れることと、業務に載せられることは別です。
Q. 自社のデータを参照させて答えさせることはできますか。
できます。社内文書を検索して、その内容をもとに答えさせる仕組み(RAGなど)を使います。精度を左右するのは、モデルよりも参照させる文書の整備状況です。版が入り乱れていると、古い規程が正解として返ってきます。
Q. 生成AIは24時間365日、稼働させられますか。
技術的には可能です。ただし止まったときに人が回せる手順を残しておかないと、夜間や休日に業務ごと止まります。稼働時間より先に、代替手順を決めてください。
Q. 生成AIの導入は、内製と外注のどちらがよいですか。
工程で分けます。対象業務の選定と、動き出したあとの運用は内製——業務を知っている側にしか担えません。ツール選定と接続の開発は、経験の差が大きいので外に出す判断もあります。
生成AIに任せる範囲の切り方は、素直に教科書どおりにしました。
教科書に載っている基準は3つです。小さく始めること、効果が測れるところを選ぶこと、人が繰り返している作業から生成AIを導入すること。この3つで絞ると、応募書類の下読みと面接の質問作りが残りました。作り始めると、研修テキストの書き出しも同じ延長で作れたので、そこまで足しています。
作るのは速かったです。作り始めてから、動くところまで1日。ソフトウェアを動かす命令文であるコードは、1,529行になりました。応募書類を読むところから、研修テキストを教科別に書き出すところまで、必要な処理はその日のうちに一通り揃っています。
試しに、去年の応募書類を1件流してみます。返ってきたのは、経歴の要点が5行と、質問が10問。その中に「集団授業と個別指導のどちらを見学したことがありますか」という一問が混ざっていて、これは教室長が普段から聞いている質問でした。
見せたときの反応は、いま思うと出来すぎです。教室長の1名は「これ、いつから使えますか」と聞いています。
この時点では、生成AIの導入方法を間違えたという感覚はまったくありませんでした。
ここまでが、生成AI導入の教科書どおりの整理です。目的を決め、業務を洗い出し、試して仕分け、ルールを作って本番に載せる。順番どおりに進めれば、動くところまでは行きます。
この記事の後半で扱うのは、その先です。AIが8割を処理したあと、残りを引き取る人が決まっていないと、その仕事はどこへ行くのか。
② 動いたのに、半年ちかく本番で1回も通っていない

ところが、動いたソフトウェアは、本番の業務で使われないままになりました。
実際の応募者1名で、書類の受け取りから研修テキストの配布まで通す。この一連の作業を1回通すことが、半年近く終わっていません。
止まった理由は、生成AIの精度ではありませんでした。動かす前に人がやる作業が6件残っていたからです。全部あわせて40分から60分。
6件はどれも、作ったソフトウェアの中ではなく、その外側で行う設定でした。採用管理サービス(応募者の情報を管理するサービス)に、作ったソフトウェアへ通知を送る受け口(通知の送り先となる接続口)を1つ作る。受け口を作ると合言葉が1本発行されるので、それを控えてソフトウェアの設定に入れ直す。塾の登記上の所在地と事業区分を、そのサービスに登録する。そういう類のものです。
そして6件には順番があります。2件目は1件目で発行された合言葉が要るので、飛ばせません。
40分から60分です。授業の合間に、教室長が取れない長さではありません。
でも、終わりませんでした。
③ 気づいたのは、「本番で1回通す」が4回持ち越されていたときでした

止まっていること自体は、途中から分かっていました。分からなかったのは、40分で終わる作業が半年残り続ける理由です。
40分で終わる作業が半年残り続けた理由に気づくきっかけは、これまでの進め方を書いた紙を、日付順に並べ直したことです。このソフトウェアは開発に区切りをつけながら作っていて、区切りごとに「次はここまでやる」と書き出した紙が1枚ずつ残っています。その2枚目に、こう書いてありました。「実際の応募者1名で最初から最後まで1回通す」。
3枚目にも、同じ一行がありました。4枚目にも、5枚目にもあります。文言まで同じで、持ち越しは4回。
毎回、持ち越した理由の欄には同じことが書いてあります。人がやる作業の完了待ち。
そして、7枚目の紙では、その一行は消えていました。代わりに入っていたのが「手順書を作る」です。実際、手順書ができています。人がやる作業を、準備から本番の切り替えまで7段階に分けて全部書き出したもので、182行ありました。最後に確認する項目が8件ついています。
人がやる作業が誰にも引き取られていないと確信したのは、その1週間後に作られた1枚の表を見たときです。手順書とは別に、通しで実施した記録をつける表が1枚あります。列は4つ。日付、担当者、試しに通したときの結果、本番で通したときの結果。
その表に入っている行は1行だけです。日付の欄には「YYYY-MM-DD」、担当者の欄には「name」。書式の見本が、そのまま残っています。
誰も1行も足していませんでした。
④ 原因を1件に絞る

止まった理由として思い当たることは、いくつもあります。教室長が忙しすぎたこと、着手の時期が年度替わりと重なったこと、外注の契約に運用が入っていなかったこと。
ただ、絞ると1件でした。
生成AIに任せる範囲を、「作れるかどうか」で切ったことです。
作れるかどうかで切ると、線は必ず「作れないものの手前」に引かれます。生成AIは、書類を読むのも、質問を作るのも、テキストを書き出すのもできます。できないのは、外部のサービスに受け口を作ることと、合言葉を控えて設定に入れることと、塾の登記上の所在地を打ち込むことでした。
つまり残ったのは、「生成AIにできなかったもの」だけを集めた6件です。共通点は1つもありません。難易度も、必要な権限も、かかる時間もばらばらです。
そういう集まりには、担当が付きません。1件ずつ見れば5分から10分で終わるのに、6件まとめて引き取る人が誰なのかを、はじめから決めていないからです。だから、誰の予定表にも入りませんでした。
⑤ 直したのは1箇所だけ

やったことは、生成AIの導入範囲を決める基準を変えることだけです。
「生成AIに作れるか」で切るのをやめて、「1人が1回で終わらせられるか」で切り直しました。
具体的には、着手する前に3つの欄を埋めることにしました。引き取る人の実名、引き取りにかかる分数、引き取る日付。この3つが埋まらない範囲には、生成AIを導入しません。
埋めてみると、人がやる6件のうち、3つの欄が全部埋まったのは2件だけでした。教室長が自分の権限だけで終えられる2件です。
残りの4件を実行できるのは、塾の代表と、採用管理サービスの契約者だけです。だから、いったん生成AIの導入範囲から外しました。この4件を終えた先で生成AIが実行する処理も、一緒に外れます。初期研修テキストの書き出しが、その処理にあたりました。
生成AIに残ったのは、応募書類の下読みと、面接の質問作りです。人が引き取る作業は6件から2件になり、範囲は3分の1になりました。
⑥ あとで知った ── 簡単なものから持っていかれる、この形には名前がありました

しばらくして、生成AIと人がどう作業を分け合うかを調べた「Ironies of Generative AI」という研究論文を読み、手が止まりました。
その論文には、こう書かれています。「automation tends to make easy tasks easier and hard tasks harder when implemented in practice」。実際に入れてみると、自動化は簡単な作業をより簡単にし、難しい作業をより難しくする、という意味です。
著者らはこの現象に task-complexity polarization(作業の難しさの両極化)という名前を付けています。作業の難しさが、両極に開くということです。
理由の説明も、そのまま当てはまりました。「easy tasks are easier to automate, and so the more difficult tasks tend to remain under manual control」。簡単な作業は自動化しやすいため、難しい作業が手作業として残る。
残った6件が寄せ集めだったのは、当然でした。簡単な作業から順に生成AIへ任せたあとの残りだからです。
そして対策として挙げられていたのが「clear task allocation」、作業の割り当てをはっきり決めることでした。いまどの作業を生成AIが担当し、どこから先を人が担当するのかを、使う人が分かっている状態にしておく、という話です。
しかも、作業の難しさが両極化する現象は、生成AIから始まったものではありません。論文が引いているのは、30年以上前からある人間工学の研究です。人間工学は、人と機械の関わり方を扱う分野です。同じ形が操縦席で先に観測されています。自動操縦は、水平飛行中のパイロットの負荷を下げました。ただ、着陸のときの負荷はむしろ上げています。手が空いた分を難しい作業へ回せなかった、という記録です。
新しい理屈は、ひとつも要りませんでした。
⑦ 変えてみて、何が良くなって、何を失ったか

生成AIの導入範囲を絞ってから変わったのは、手順書の書き方でした。導入範囲から外した4件には、塾の代表の日付が入るのを待つ、という扱いが付きました。本番で1回通す作業は、その日付が入ってから着手します。宙ぶらりんの半年と、日付を待つ状態は、見た目は似ていて別のものです。
6週後に、このソフトウェアの別の工程で、以前の182行の手順書と同じ形式で新しい手順書が作られています。182行が92行になりました。ただ、短くなったこと以上に、順番の変更が効きました。前の手順書は、コードを全部書き終えてから、人がやる作業を末尾に並べていました。新しい手順書は、いちばん上に条件が2行あります。人が中身を見て、出してよいと言っていること。言っていなければ、そこから先の手順は実行しないこと。
つまり、人が引き取る行が、最後ではなく最初に来ました。
ただ、代償があります。3件書いておきます。
1件目。着手が遅くなりました。 実名と日付が埋まるまで動かさないので、決まるまでの数日は1行も進みません。前は、決まるのを待たずに書き始めて、1日で1,529行が出来ていました。
2件目。「生成AIを導入した」と言いづらくなりました。 範囲が3分の1なので、見せられるものが減ります。役員会や、教室長を集めた会議で実物を出せないのは、地味に効きます。
3件目。書き終えたものを出せない期間ができました。 新しい手順書の冒頭には、作るところは終わっている、ただしまだ出していない、と書いてあります。人が中身を見て、出してよいと言うのを待っている状態です。書き上がっているのに出せない期間は、前には無かったものでした。
前は、書き上がったものをそのまま出して、あとの40分を誰も引き取りませんでした。どちらかを選ぶ話です。
⑧ 現場で使うなら、この3つの欄

生成AIを導入する範囲を決めるとき、僕が使っているのはこの表だけです。
| 欄 | 書くこと | 空のままなら |
|---|---|---|
| 引き取る人 | 役割名ではなく実名。「運用チームが随時対応します」は不可 | 生成AIを導入しない |
| かかる分数 | 実際に測った時間を基にした見積もり。10分か40分かで扱いが変わる | 範囲を切り直す |
| 引き取る日付 | 予定表に入る日。「決まり次第すぐやります」は不可 | 予定表に入るまで着手しない |
3つのうち、いちばん効くのは1つ目です。役割名が書けてしまう欄は、空欄と同じでした。実名を書く欄にすると、書けない範囲がその場で見えます。分数の欄も効きます。40分と書かれた仕事は、40分の予定として予定表に入りますが、「そのうちやります」と書かれた仕事は、いつまでも入りません。
この見方は、扱っているものには依存しません。塾でも、工場でも、店舗でも同じです。
⑨ この切り方が効き続ける理由

生成AIの基盤となるモデルが賢くなっても、この切り方は変わらないと考えています。
賢くなるほど、生成AIに作れる範囲は広がります。それに伴って、生成AIに任せる作業も増えます。そして人が担当する作業として残るのは、その時点で生成AIに作れなかったものだけです。
人が担当する作業の数は減りません。生成AIにはできない作業の割合が高くなります。5年前なら、人が担当する作業の中に「文章を整える」のような、誰でも引き取れる作業が混ざっていました。いまはもう混ざりません。残るのは、権限が要るもの、契約が要るもの、身体を動かす必要があるものだけです。
だから、生成AIが賢くなるほど、引き取り手の実名を書く欄がさらに重要になります。作れる範囲は広がり、引き取れる人は増えないからです。
内製と外注の線も、同じ基準で引けます。作れるかどうかで分けるのではなく、生成AIができなかった作業を引き取る人が、社内と社外のどちら側にいるかで分ける。外に出すなら、見積書に項目が1件増えます。作る費用とは別に、その残りを人が引き取る時間を、費用の項目として立てるからです。塾で言えば、40分から60分の6件がその項目にあたります。そして、いちばん高くついたのがこの項目です。 触れるのが塾の代表と採用管理サービスの契約者だけで、代わりが利かないからです。
この線の引き方を実際の業務に落とす話は、生成AIコンサルティングのページに整理しています。どこまでを生成AIに任せて、どこから人が引き取るかを分けたい業務があれば、こちらからご相談ください。
食洗機は、いまも毎晩回しています。
カゴから棚に戻す係は、まだ決まっていません。今朝も、乾いた食器をカゴから直接取って使いました。フライパンと包丁とパッキンは、シンクに置いたままです。
以上です。
▶ この記事のテーマを実務で相談する: 生成AI導入支援
- この話に出てくる事業
- ① 教科書どおりに、作れるところから生成AIを導入した
- 生成AIとは|導入する対象は何か
- 生成AIの種類と仕組み
- 従来型AIとの違い
- 生成AI導入が注目される背景
- 生成AIを導入するメリット
- 生成AI導入のデメリットと、かかる費用
- 注意点①|情報漏えいとセキュリティ
- 注意点②|著作権などの権利侵害
- 注意点③|ハルシネーション(もっともらしい誤り)
- 注意点④|法規制とコンプライアンス
- 生成AI導入の7ステップ|全体像
- ステップ1|導入目的を明確にする
- ステップ2|生成AIが担う業務をリストアップする
- ステップ3|PoCで、任せられる業務を判別する
- ステップ4|業務内容に応じたツール・モデルを選定する
- ステップ5|活用ルールとガイドラインを策定する
- ステップ6|導入する(既存システムへの組み込みとAPI連携)
- ステップ7|導入効果の検証と改善(効果検証の4指標)
- 社内体制|内製と外注の分担をどう決めるか
- 社員のAIリテラシー向上と社内教育
- データの管理体制と基盤の整備
- 生成AIの導入事例|業務別・業界別
- 生成AI導入のよくある質問
- ② 動いたのに、半年ちかく本番で1回も通っていない
- ③ 気づいたのは、「本番で1回通す」が4回持ち越されていたときでした
- ④ 原因を1件に絞る
- ⑤ 直したのは1箇所だけ
- ⑥ あとで知った ── 簡単なものから持っていかれる、この形には名前がありました
- ⑦ 変えてみて、何が良くなって、何を失ったか
- ⑧ 現場で使うなら、この3つの欄
- ⑨ この切り方が効き続ける理由